
| 1992年9月、NY駐在中の次男を訪ねて初渡米した。某日、次男が「アムトラック(鉄道)を利用したワシントン2泊の旅」を用意してくれたのでフィラディルフィア美術館を観賞したあと、ワシントン(第5回)を満喫した。NYへ帰るアムトラックでボルティモアから乗車した美しい女性が、私の隣席だった。長年の海外での長旅で、隣に美女が座る確率は、数%以下。週末にNYへ戻られる若い歴史担当の女教師だった。たわごとの談笑をときどきしたが、2時間半後にペンシルヴァニア駅に到着したら、イースト・サイドに居住の彼女が、私をグランド・セントラル駅までタクシーの同乗を勧めてくれた。美醜を問わず女性ひとりのクルマに同乗したのは、海外で初めての椿事。そのタクシー内で、「ボルティモアは、緑の美しい静かな街ですから、ぜひお訪ねを」といわれたことを忘れずにいた。 | ||||||||||||||||||||||||||
| 2005年6月NY滞在中に、思い切ってボルティモア訪問に挑戦した。7時15分発アムトラック快速列車は2時間40分を要してボルティモア駅に着いた。同じヴァージニア州でもワシントンの衛星都市に組み込まれている同市は、成長・人口とも伸び悩んでいるようだが、アメリカ国歌「星条旗」の詞が市内にあるマクヘンリー要塞でつくられたとか、アメリカ最初の鉄道である「ボルティモア&オハイオ鉄道」が敷設されたとか、歴史的話題には事欠かない。メイ・フラワー号が清教徒を乗せて来たのが1620年。23年には町が建設されたという、アメリカ建国史でも古い町だ。 |
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| 街の中心の手前まで下ってドキリとする大きな物件に出くわした。 学生らへの援助財団の建物で、一階周りを大きなサイズの300角ガラスブロックで施工されていた。北西面の全景(写真D)、北面全景(写真E) 、正面玄関(写真F)=の3枚を。300角の基本は、幅13個×高さ6段。その上部に145角サイズの幅26×高さ3段がある。正面入口の左(東)は高さが低くなる部分を調節していた。入り口の両袖の個数もご覧の通り。
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| 数量は300角「プレーン」で727個。145角の「たまゆら」で648個プラス正面左側分となる。アメリカ国内に於いて、300角の上側を145角サイズで、斜面の高さ調整しているタイプは、ボルティモアではじめて見た。やはり300角は“いいなぁ”と、何度も眺めていた。この建物の南側の駐車場や倉庫にも3物件があった。 |
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| 92年秋、隣席の女教師からのボルティモア訪問へのお誘いを、13年後に応えることができて感謝。そして、再び驚いたのは、NYへ帰る同じ車両に、元映画女優だったに違いない気品のある美女が乗車されたことだ。ペンシルヴァニア駅で後を追ったが、混んだ中を健脚で、あっという間に迎えのクルマに乗られた。私には、ボルティモアは、ベーブ・ルースよりも「美人が多い都市」の印象が濃い。 |
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| 注=Baltimoraの日本語注記は、バルティモア、バルチモア、ボルチモアなど多数あるが、本稿では{ボルティモア}に統一した。 | (写真は、すべて 2005年6月撮影) | |||||||||||||||||||||||||
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次回は、05年初訪問したシカゴからお送りします。
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大西吉雄 (Time is Life 生きがい研究所 主宰・著述業・歌人)
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