ガラスの街·富山から、グラス·アートの魅力を伝える
有識者インタビュー
富山市ガラス美術館館長の土田ルリ子氏に、ガラスに秘められた歴史的背景やガラスと人々との関わり、文化的な価値についてお話を伺いました。また、土田氏が感じるグラス·アートの魅力や奥深さ、それを伝える学芸員としての思いや信念についても共有していただきました。
富山市ガラス美術館 館長 土田 ルリ子氏
エミール·ガレや薩摩切子など、ガラスにまつわる展覧会企画多数。 2009年「ガレとジャポニスム」展(2008年開催)の功績により、財団法人西洋美術振興財団賞「学術賞」ならびに「第30回ジャポニスム学会賞」受賞。著作に『切子 KIRIKO ジャパノロジー・コレクション』株式会社KADOKAWA、中山公男監修『世界ガラス工芸史』美術出版社(共著)、山根郁信編『KAWADEムック 決定版 エミール・ガレのガラス』河出書房新社(共著)など。
ICOM GLASS会長、日本ガラス工芸学会理事。
1967年東京都出身
1992年慶応義塾大学大学院文学研究科哲学専攻美学 美術史分野修了
1992年からサントリー美術館勤務
2010年~ 2020年3月まで同館学芸副部長
2020年4月より富山市ガラス美術館副館長
2022年4月より現職
サントリー美術館でグラス·アートに魅了される
——土田さんがグラス· アートに魅かれたきっかけをお聞かせください。
私の名前「ルリ子」は、母方の祖母が「響きがいい」と考えてくれました。瑠璃(るり)は、美しい青色を持つ瑠璃石(ラピスラズリ)や、同じ色合いをもつガラス、深い青色そのものを指す言葉です。両親も、磨けば光るガラスにちなんだ名前ということで気に入ったようです。名前の由来を聞かされていた私は、幼少期からガラスを「なんとなく気になる存在」として感じており、ビー玉やおはじき、青い色など、ガラスに縁のあるものに親近感を抱いていました。
大学生になってからアートに興味を抱くようになり、大学院では2年間アール· ヌーボーを学びましたが、美術館への就職は狭き門であり、特に当時の美術界は男性社会で、女性の学芸員はほとんどいませんでした。私も学芸員ではなく「女性館員」としてサントリー美術館に就職し、受付や看視、伝票処理など、男性学芸員の補佐的な仕事をしていました。
サントリー美術館は古美術の美術館の中でも特にグラス· アートのコレクションが多く、所蔵品3000点のうち約3分の1がガラス作品でした。私が入社して数年後に、北海道の開業医だった菊地保成氏のコレクションであるエミール· ガレを中心とするガラス作品が加わり、グラス· アートのコレクションが大きく拡大したのです。これを機に、ガレの展覧会を開催することになったのですが、当時、ガラス作品について日本語で書かれた文献はほとんどありませんでした。そんな中、第二外国語としてフランス語を学んでいた私に、展覧会の下調べという役割が任されました。そうしてグラス· アートについて学ぶうちに、その深く美しい世界に引き込まれていったのです。
5000年の歴史の中で、文化と交差しながら発展
——グラス· アートの歴史が人々の暮らしや文化に与える影響や価値について教えてください。
ガラスの歴史の始まりは約5000年前にさかのぼります。古代ローマ時代にはすでにガラス製品が作られており、特に紀元前1世紀頃に吹きガラス技法が発明されたことが転換点となり、ガラス製品が急激に普及したと言われています。
天然のガラスである黒曜石は、マグマが急冷されてできる火山岩の一種で、さまざまな鉱物成分を含むため、色は黒いものが一般的です。現在普及している透明度の高いガラスは、地球の地殻を構成する主要成分である珪砂(けいしゃ)を主原料としていますが、原料の精製や溶かす温度を下げるための融剤、耐久性を高める安定剤の添加など、化学的に豊富な知識とガラス特有のプロセスが必要です。この点が陶器とは異なり、グラス· アートが普及しにくかった要因の一つではないかと思います。
一般的に、アートは絶大な権力を持つパトロンの財力と社会の安定があるときに繁栄し、グラス· アートも例外ではありません。古代エジプトの第18王朝の頃には、不透明なコアガラス技法が発展しました。15世紀に入ると、ベネチアが中継貿易で繁栄し、ダマスカスなど中東地域から逃れてきた職人たちがベネチアに高度な技術をもたらしました。ベネチアングラスの特徴は、当時としては限りなく無色に近い素材クリスタッロであり、その透明度の高さから「水晶のようだ」と称賛され、貴族の装飾品として絶大な人気を博しました。さらに、「ラッティモ」と呼ばれる乳白色のガラスが開発され、これを透明なガラスと組み合わせることで、繊細なレース模様を持つガラス製品が生み出されました。こうした贅を尽くしたカップや装飾品は、貴族たちの富と権力の象徴として重宝されました。
17世紀になると、ボヘミアでカリウムを含む新しいガラス素地が開発され、ベネチアからの脱却を果たす新しい様式が生まれました。貴族たちは自分の肖像画や狩猟の様子をガラスに描かせ、自己顕示欲を満たすとともに社会的地位を誇示しました。
このように、グラス· アートの発展の裏側には時代背景や人間模様が反映されており、私自身も非常に興味深く感じています。サントリー美術館も素晴らしいコレクションを有し、私をゼロから育ててくれた場所ですが、グラス· アートの発信を専門としていたわけではありません。「東京で生まれ育った私が、なぜ富山のガラス美術館に呼ばれたのか」と考えますと、ガラス美術館は、グラス· アートの魅力を専門的に広く発信することに存在意義があり、そこに貢献することが私の役目なのではないかと感じています。
美術館の役割は、来場者を物語に引き込むこと
——絵画や陶器など他のアート作品と比較したグラス· アートの課題があれば、教えてください。
ヨーロッパやアメリカでは、グラス·アートの認知度が日本より高いものの、他の芸術分野に比べると依然としてマイナーな位置付けにあります。私はパリに本部がある国際博物館会議(ICOM:International Council of Museums =アイコム)の会員として、ガラス芸術分科会の会長を務めていますが、この分科会は ICOM の中で最も小さな分科会です。絵画は、幼少期のお絵描きから始まり、多くの方が日常的に慣れ親しんでおり、陶芸も日本各地で比較的身近な存在となっています。一方、ガラスは溶かすために特別な設備が必要となるため触れる機会に乏しく、これが大きな課題の一つと言えます。
——土田さんは日々作品に触れる中で、グラス· アートの美しさや魅力をどのように感じていらっしゃいますか?
ガラス美術館でグラス· アートに携わるようになってから、私の持っていたガラスの概念を超える作品に触れる機会が増えました。以前、目にしたグラス· アートは主に器の形をした作品が多かったのですが、現代の作品は形や色が多様で、質感もツヤツヤやザラザラなどさまざまです。素材は限られていますが、技法によってその表情は七変化し、他の素材と組み合わせる作家も増えています。近年では、ブラウン管のガラスや熱反射の板ガラス、ソーラーパネルなどの建築素材を再利用したり、ニット作家がグラスファイバーを編んだり、ユニークな試みも見られます。私も「これもガラスなのか」と驚いたり、「あなた、こんな顔も持っていたのね」と発見したりすることがあり、この多様性こそがグラス· アートの最大の魅力であり可能性だと感じています。
また、芸術界におけるグラス· アートの利点は、派閥や流派がなく自由度が高いこと、技法や表現にルールがない点ではないでしょうか。20世紀以前は国という枠組みに縛られる風潮が強かったものの、21世紀に入り、アーティストの帰属意識が希薄になり、国を超えた作家個人のコンセプトが作品に強く反映されるようになりました。3年に1度「富山ガラス大賞展」を開催していますが、コロナ禍だった2021年には、目に見えない恐怖を表現する作品が見られ、同時代を生きる人間として、国を超えて共感や対話ができるということを改めて実感しました。
——グラス· アートの魅力を発信する側としての信念をお聞かせください。
現代作品はオリジナリティーやコンセプト、表現の一貫性が重視され、そこに真摯に向き合った結果、素晴らしい作品が生まれます。私たちはそのような作品を評価し、皆さまにご紹介したいと考えています。美術館に来場される皆さまには、作品と自由に向き合い、対話を楽しむことで、作家の思いや作品から連想される風景が心に共鳴する体験をしていただければと願っています。
学芸員は、展覧会の構成を通じてストーリーを作り、来場者に新たな視点を提供する「仲介役」としての役割を果たします。自分が腑に落ちていないものは他者に伝えられないため、学芸員には「まず作品を深く理解してから企画を考えるように」と伝えています。また、「来場者がストーリーに入りやすいよう、入り口には分かりやすい作品を配置し、章立てをすると良い」といったアドバイスをすることもあります。
美術館の役割は、展示スペースというメディアを通じて、個々の作品の美しさを伝えると同時に、来場者を物語に引き込むことだと考えています。展示の最終章で「なるほど」と感じていただけるかもしれませんし、それが叶わなくても、一つでも二つでも心に残る作品との出会いがあればうれしいです。
グラス·アート施設を3つも有する『ガラスの街とやま』
——今後の取り組みやグラス· アートの発展に向けた想い、意気込みをお聞かせください。
富山市には、ガラスに関する施設が3つあります。1991年にガラス作家を養成する「富山ガラス造形研究所」が設立され、その3年後の1994年には「富山ガラス工房」が開設、2015年に「富山市ガラス美術館」が開館しました。ガラスに関する学校、工房、美術館の3つがそろう街は世界的に見てもほとんどありません。富山市はこの3つの施設を有する珍しい都市として『ガラスの街とやま』を掲げています。
富山市ガラス美術館はニューヨーク州のコーニング· ガラス美術館との提携を実現しており、海外では富山がグラス· アート発信の日本拠点として認知されていると言えます。しかし、国内における『ガラスの街とやま』の認知度は高いとは言えません。3つの施設はそれぞれ成熟していますが、今後は同じビジョンを共有し、横のつながりを強めて『ガラスの街とやま』のブランドイメージを強化していく必要があります。そのため、連携強化に向けた協議を重ねているところです。
ガラス作家たちはある程度海外と交流していますが、学芸員や研究者の国際的なネットワークは依然として弱い傾向にあります。グラス· アートに関わる人々の交流の場は世界中にありますが、日本人の参加は少数です。言語の壁が大きな課題となっているほか、学芸員自身にも気概が乏しいのではないかと感じています。
しかし、日本のグラス· アートの発展のためには、関係者が積極的に国際舞台に出て行くことが重要です。私自身もICOM などの活動を通じて国際的なネットワークを構築し、その恩恵を実感しています。美術館の展示を充実させるためには、海外のコレクション作品の借用が不可欠ですが、貴重な作品を顔の見えない人に貸したいと思う人は少ないでしょう。仕事を進めるうえで、直接顔を合わせたことのある関係性が大きな役割を果たします。富山市ガラス美術館では、学芸員が海外で学ぶための予算を確保するなど、国際交流を後押ししています。今後も『ガラスの街とやま』の認知度拡大と、グラス· アートの国際的な評価向上に尽力する所存です。
富山市ガラス美術館
世界的な建築家の隈研吾氏が設計を手掛けた複合施設TOYAMAキラリ内にある、『ガラスの街とやま』を象徴するグラス・アートミュージアム。 現代ガラス美術の巨匠デイル·チフーリ氏によるインスタレーション(空間芸術)作品をはじめ、国内外の現代グラス・アート作品など、常設展や企画展を開催している。
Webサイト:富山市ガラス美術館