富山ガラス造形研究所の教育と創造の世界
有識者インタビュー
「ガラスの街づくり」を進める富山市では、国際的なガラス芸術の発信はもとより、作家の育成にも力を入れています。人材育成の拠点となる富山ガラス造形研究所所長の本郷仁氏に、ガラス工芸の魅力や教育方針、そして未来の展望についてお話を伺いました。
富山ガラス造形研究所 所長 本郷 仁氏
大学の工学部で金属鋳造を学んでいた際、美術鋳物に触れたことがきっかけで工芸の道へ。大学4 年生で能登島のガラス工房で初めてガラスに触れ、その後東京ガラス工芸研究所で3年間学ぶ。卒業後は、ガラス工房の勤務を経て、富山ガラス造形研究所に勤務。講師を務めるかたわら、国内外の大学や工房でもワークショップの講師を務める。国内外での展示会にも多数出展。第1回現代ガラスの美展IN薩摩 審査員特別賞(1996年)や神通峡美術館 神通峡美術展賞(2006年)など数多くの賞も受賞している。
1964年秋田県出身
1987年東北大学工学部金属加工学科卒業
1990年東京ガラス工芸研究所造形科卒業
1991年から富山ガラス造形研究所勤務
2021年富山ガラス工房館長
2025年より現職
ガラス造形作家の育成を通して人をつくる場所
―富山ガラス造形研究所が担っている役割や特徴について教えてください。
富山ガラス造形研究所は、富山市が進めている「ガラスの街とやま」というまちづくりの中で、教育機関としての役割を担っており、設立当初から、プロのガラス制作者として生きていける人材育成を進めています。本校の特徴は、まず2年間ガラスに集中的に取り組む、高度で濃密なカリキュラムを組んでいるところです。技法それぞれの専門教員6名、常勤の教務助手6名、そのほかに非常勤講師や特別講師が、42名の学生を指導します。
また、6名の常勤教員のうち2名は常に外国人教員。年に2回開催するワークショップでは、海外の著名な作家を招くなど、国際的な情報が入ってくる環境もあり、卒業生の海外留学や就職の機会創出にも繋がっています。これは35年の歴史で培われた人の繋がりが大きく、教員同士のネットワークや、卒業生の活躍がもたらしたものです。その意味で本校は、ガラス造形作家の育成もさることながら、人づくりの場でもあると思っています。
社会との関わりをテーマにしたユニークな視点
―ガラス工芸作品の近年の傾向について教えてください。
本校で教えているのは「スタジオグラス」と呼ばれるムーブメントに属します。これは1950年代からチェコやアメリカで始まったもので、それまで工場での生産物だったガラスを、個人の制作ができる素材として捉え直した動きです。開設当初は素材そのものの面白さを前面に出した作品や、美術工芸的なものが主流でしたが、そこから徐々に個人の感情や思いを表現する媒体としてガラスを使う作家が増えてきました。
作品の幅も時代とともに広がっています。最近の若い作家たちは環境問題への意識が高く、ガラスの素材が生まれるところから関わろうとする傾向があります。例えば、学生の中には自分でガラスを調合したり、廃棄物を取り入れたガラス作品を作り、不要なものに価値を与えようとする学生もいます。自分たちと社会の関わり、人間が生きていくための理由をテーマにしている。そういう視点が出てきているのが、面白いところだと思います。
ガラス作品を「どう作るか」から「なぜ作るか」へ
―人材育成の面においては、どのようなことに力を入れておられますか。
本校も、開設当初は「どう作るか」を教える学校で、ガラスを安全に作る技術や知識の指導が中心でした。しかし、時代とともに「何を作るか」に力点がシフトしていきました。技術があっても何を作れば良いか分からなければ続けられないからです。さらに現在は「なぜ作るか」に力を入れています。ガラス造形を続けるためには、卒業後の方がはるかに壁は大きく、自分がなぜ作っているのかが明確でなければ、壁にぶつかった時に乗り越えられません。そのために、学生のうちからそこを考える指導をしています。
一方で、当研究所には様々な興味や将来像を持った学生が集まります。器や彫刻を作りたい学生、建築を学んでガラスを取り入れたいという学生、将来カフェを開きたいという学生もいます。そういった多様な学生たちの将来のプラスになるよう、ガラス以外の分野からも先生を招いて授業を行っています。ガラスを外に向けて広げる意味でも、ガラス以外の分野の人と繋がるチャンスは重要だと考えています。
格闘が対話に変わる時、自分の個性に気付く
―授業を通じて学生の皆さんのガラスの見方や感じ方はどのように変化していきますか。
特に初めてガラスに触れる学生は、最初は「キラキラしたきれいな素材」というイメージを持っています。しかし実際に自分で触って動かそうとすると、きれいな表情を作るのは難しい。手を出せば出すほど汚れたり、磨いてもキズが取れなかったりと、イメージとしてのガラスから、生の素材としてのガラスに気付いていくプロセスがあります。最初はガラスと格闘している状態ですね。
その格闘を繰り返す中で、自分と素材との距離感をつかんでいきます。ピカピカに磨くのが得意な学生もいれば、キズがあっても気にしない学生もいる。するとそこから各々が自分の個性に気付いていきます。1年生の後半から2年生の前半くらいになると、ガラスと自分がどうやったらうまく関われるかを作品の中で探っていくようになる。ようやくガラスと対話ができるようになっていくんです。ガラス作品を作りながら、自分自身を考える時間にもなっているのだと思っています。
直観的にガラスと対話している感覚
―本郷先生がご経験を通して感じられる、ガラスの魅力や面白さ、また不思議さはどんなところでしょう。
ガラスの魅力は、色んな表情を見せるところです。これは学生を教えていく中で気付いたことです。本校の学生たちも人それぞれで、吹きガラスが好きな学生もいれば、一人で静かにカットガラスをやりたい学生もいます。一人ひとりがその個性に合わせて、ガラスに接することができる。この幅の広さは、ほかの素材にはありません。作業の仕方やプロセスによっても、ガラスは柔軟に接してくれます。工業的な側面もあれば、柔らかい表情を見せてくれる側面もある。こうした幅の広さが魅力です。
また私にとってガラスは、自分の行為がそのままストレートに表れる素材でもあります。吹きガラスでも、自分のやっていることがそのまま形として出てきますし、単に板ガラスを運ぶだけでも、扱い方によっては割れたり欠けたりします。自分の行為を素直に見せてくれる素材なので、単に形を作るだけでなく、そこに様々なものを投影して考えることができるんです。
特に吹きガラスのように溶けているガラスを扱う際には、ガラスは生き物のようだといわれます。物理法則で説明できる現象も、作っている時は理屈よりも体感的、直感的に、それこそガラスと対話しているような感覚があります。造形作品としての素材ですが、思考の手がかりになる側面もある。そういった面白さが私にとってのガラスの魅力です。
便利な世の中だからこそ、不便の大切さにも気付いてほしい
―ガラス工芸の未来については、どのようにお考えですか?
技術がどんどん進歩し、便利になっています。昔はガラスが溶けるだけでも驚いていましたが、今はきれいに溶けるのが当たり前。そんな中で、自分の手で物を作る面白さがどうなっていくか、これは難しい問題です。
例えば、大学のデザイン科と共同で授業をやっていた際、CADが普及する前と後で、学生のデザインの考え方が変わりました。CAD以前は手で感覚的にデザインしていたものが、CAD前提になると最初から厚みや形状などの設計を踏まえたアイデアになります。悪い面だけではないのですが、デザインツールに考え方が縛られてしまっている印象も受けるんです。ツールの使用で考え方が広がる部分は認めますが、考え方自体をツールに縛られてしまっては面白くありません。常に新しいものを作る人間の意欲を否定するわけではありませんが、望みとしては、便利になっていくからこそ、不便な部分の大切さに気付いてほしいと思っています。
当たり前に疑問を持てば、ガラスはますます面白くなる
―最後に、日本電気硝子の社員へメッセージをお願いします。
身の回りにはガラス製品が当たり前に存在していますが、工芸や造形の視点から眺めると、ふと立ち止まって考えさせられることが多くあります。例えば喫茶店のコップ一つを見ても、持ちやすいデザインや、口の部分にわざとひずみを残して重ねられるようにした工夫など、よく見ると面白いことだらけです。コップを作るところまでさかのぼると、デザイナーの考え方も含めて、たくさんの発見がある。当たり前のものに疑問を持つと、素材としてガラスはますます面白くなると思います。
皆さんが製品を作っておられる中でも、私たちが思いもつかないような気付きがあると思います。造形作品を見て驚くことがあるように、技術者の皆さんの発想にも驚かされることがたくさんあります。これからも、ガラスという素材を通して、自由に発想を広げていってください。そして一緒にガラスの持つ可能性を広げていきましょう。
富山ガラス造形研究所
プロのガラス造形作家の育成を目指し、1991年に設立された市立の専門学校。2 年間でガラス造形に必要な基礎的な理論、技術を学ぶ造形科、造形科卒業後に自身の制作スタイルや研究を深める2 年間の研究科がある。定員42 名の生徒を12 名の教員と助手が見る手厚い指導体制と充実した設備で、ガラスのプロの育成に尽力している。
Webサイト:富山ガラス造形研究所